はてなスターの多義性について考えた
はてなスター、私はとても気に入っているのだけど、「はてなスターを付ける」という行為が多義性を帯びてきているような気がする。
はてなスターが始まった当初は、ただ単にポジティブな印象を受けたよ、といった意味合いでスターを付けていたのだけど、最近は
- 「読んだよ」
とか
- 「共感したよ」
とか、
- 「ここの文章、いいね」
- 「もっと私を見て!」
とか、
- 「好きです」
とか、
- 「いつも見てます」
といった意味合いで付けることがある。
たぶん、「読んだよ」的はてなスターは、id:umedamochioさんが提唱し実践している「全部読む」戦略の一環で生まれた使い方じゃないだろうか。
「好きです」とか「いつも見ています」というのが双方にとってポジティブなのか、いいことなのか、快なことだろうか、というのはおいておくとして、はてブの持つネガティブ性を消す方向性を持って始まったはてなスターなので、ネガティブな意味合いがはてなスターにない、というのはいいことだと思う。
この、システムとしてネガティブなことができないようにしておく、というのは稲盛和夫さんがいつも言っていることとも共通しているし、ローレンス・レッシグ先生のCODEなんかでも再三議論されていることと似ているんじゃないかな。
はてなドクロとかもあっていいとは思うのだけど、はてなの方向性としてそっちには行かないんだろう。
はてなスターの使い方とその意味合いが、付ける方とはてなスターられる方で、お互いにポジティブに「何となく察する」、という日本的な広がり方をし始めているのはとても興味深い。