読書メモ 生産性 伊賀泰代

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

考えたこと

ここのところ、生産性について話題にもなるし所属している組織でもよく言われているので生産性について考える事が多いので考えるネタとして読んだ。

あとがきの

全員が遅くまで忙しく働いている会社でも、その実態はふたつに別れます。ひとつは「生産性が低い人が仕事に忙殺され、忙しく働いている会社」、もうひとつは「生産性が高い人が長時間働いているハイパワーな会社」

生産性生産性言って個々人の生産性を高めても、給料が上がるわけでも早く帰ってワークライフバランスが実現できるわけでもないんだから、生産性を高めるモチベーションをどう維持し続けるかの勝負になるのだろう。

結局、生産性を高めても、生産性が低いままだろうが長時間労働になるわけで、報われない話だ。生産性を高めても、その高い生産性x限界まで長時間働ける人が成果主義としても高く評価されるわけで、生産性で競争させたいんだったら労働時間にリミットを設けないとアンフェアだろう。

周囲を見ていても、生産性(が何かはさておき)が高い人達ばかりなので、そういう状況だとリミッターなしで長時間働ける人のほうが当然大きな成果を出している。子どもや家族がいると土日は働けないし、朝や夕方も働けないしで、絶対量としての成果が問われる環境だと厳しい。

メモしたところ

応募者が集まれば集まるほど、優秀な学生も増えるはず

確かに中途採用でも、とりあえず多くの人からスカウトに対して反応があれば、いい人が採用できるはず、というアプローチになりがちだ。 優秀な人を買い叩こうとするからという面もありそう。適切な給与水準を提示できずにビジョンとかやりがいとかを先に言い出すのがおかしい。

面接もあまり効率的ではないし、書類を見たって仕事の能力は全くわからない。かといってpaizaみたいな競技プログラミングの結果を見たってどうせ採用する人たちは全員Sランクは解けるのだから横並びだし、実際の業務だと設計とかのほうが大切な局面は多い。かといってGithubのコードを見たって判断が難しいので悩ましい。

職務経歴書もそうだし、職務経歴書の印象と面接の印象があまり相関がないのであてにならない。職務経歴書の標準化をするとか、採用の慣習から変えていかないと効率的な採用は難しいのだろう。

生産性の定義

 生産性 = \frac{得られた成果}{投入した資源} = \frac{アウトプット}{インプット}

では投入資源を減らせばいいのだな

成果を増やすためにとりあえず人を増やしたり労働時間を増やしたりしがちで、結果として生産性が下がる。生産性が下がったので今度は人を減らしたりコストを減らして投入資源を減らして組織がいびつになってガタガタになる、みたいなことはよくある。

コストにしたって蛍光灯減らしたり文房具減らしたり昼休みに電気を消してみたりエアコンの温度28度にして蒸し風呂にしてみたり、生産性を下げてたり生産性への寄与が微小だったり、そういう施策ばかり実施される。

生産性改善のアプローチ4象限

  • アプローチ1 改善による投入資源の削減
  • アプローチ2 革新による投入資源の削減
  • アプローチ3 改善による付加価値額の増加
  • アプローチ4 革新による付加価値額の増加

日本ではアプローチ1 改善的な手法による投入資源の削減が行われがちで、実際そのとおりだと思う。対して効果も無い施策が人事や管理方面から打たれがちで、現場の生産性が落ちが数値として評価してないのでわからない、みたいな事態になりがち。

成長意欲

成長意欲の高い人の中には、日中はめいっぱい仕事をし、家に帰ってから新しいことを勉強するために時間を投入する人もいます。

しかしこれは、家に帰ったら火事も育児もまったく手伝わない、昭和型の男性社員にしか許されない成長方法です

耳が痛い。私も周りについていくのに必死で、こういうアプローチをとりがちなのだけど、継続してこれを70歳まで続けなければいけないのか、と暗澹たる気持ちに良くなる。アラフォーになってみて、こういうアプローチが難しくなってきたのも感じるし、土日は子供と遊んだり火事をしたりで、絶対的に投入できる時間がほぼなくなってしまっている。 これまでのキャリアで、土日や余暇に得た知識や経験で随分と下駄を履いていたんだな、と感じることがよくあって、いわばそれはチートだったのだけど、チートができできなくなって成長速度が鈍化するのを感じている。

成果主義の評価制度の問題

評価基準に生産性の概念が入っていないこと

たしかにその通りで、評価基準に生産性が入っていないので、成果を極大化することでしか評価されない。 生産性を高めつつ極限まで労働時間を増やして成果を極大化し続けて、身体や精神を壊さない人たちだけが生き残っている。 実際土日や深夜まで働ける人のほうが成果は多いし、タフな人ほど成果を出せる。

トップパフォーマー

国内では高い評価を受けていても、世界に出ると自分の未熟さを痛感させれる機会が多いアスリートと異なり

これはエンジニアだと違う。トップレベルのエンジニアのコードや考えに触れることは多い。

この仕事はなくせないのか

まず考えるべきは「この仕事はなくせないのか」

人が足りない、人件費がかかるから社員は増やせない、という状況だと派遣社員契約社員を増やして、何年か経つと派遣社員契約社員しか知らないことが大半で社員だけでは業務を回せなくなる。

仕事をなくせないかを検討した上で、非正規社員を増やしてることはあまり無いようなきがする。純粋に人が足りないだけで、付加価値が低い仕事だけでなく付加価値がある仕事まで外注してしまい組織として維持すべき技術だったりノウハウが失われる例を見てきた。

誰かが休暇を取るなら、その分、チーム全体の生産性を上げる

人が短期的に出産・育児休暇を取るときにネガティブな反応をされがちだけど、ネガティブな反応をする人は普段からあまり生産性が高くない仕事をしているか、これ以上生産性を上げる余地がないと感じているか、なのだろう。

ただ人が減って業務がそのままなら負荷が高くなるだけなのは当然なのだけど、軍隊では3割が予備、というように余裕を持った兵力運用をしたいとも思う。

マネージャーの仕事

トレードオフが存在する状況において判断を下すこと

この「判断を下す」という負荷の高さは経験したことがないと理解されないように思う。

リーダーやマネージャをしていると部下やチームメンバーから「判断」を求められる局面はよくあるのだけど、求められる方はそれほど負荷の高いことを求めている意識はないだろうし、「お前が決めろよ」「決めるのなんてかんだんだろう」と思うのだろうけど、実際やってみると大変に負荷が高いし、一日に何度も重い判断をしていると注意力資源がなくなってしまう。

地方の生産性の低さ

あらゆる面において、地方の生産性が低すぎる

はっきり言う人は少ないけど、地方の生産性は低い。 生産性は低いし、あげようとするモチベーションもないので手詰まりのように見える。

通勤時間

一週間分の通勤時間で一日分以上の労働時間が捻出できる

これも私が、下駄履いてると感じているところで、職住近接して家には金をかけてでも時間を買っている、という認識でパラメタをふっている。

そうやって時間を捻出して体力的にも家庭的にも24/7はたらけないところを補おうとしているのだけど、それでも職住近接してさらに24/7ですべてのパラメタを仕事にふっている人たちと同じフィールドで成果を競わないといけないわけで、厳しい話だ。

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの