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危険なものが見えないようにすることは、かえってリスクを高くするのでは? うごメモから見える世界はフィルタされている

はてな

書いてたのだけどまとめられなかったのでとりあえず公開。

見えている世界は正確か?不確定性原理とかではなく。

子どもにとって、危ない物を見せない、近寄らせない、使わせない、といった方針は、必ずしも子どもを守ることにはならないのではないか。

危険なものが存在するのだけれど、その危険なものを見えないように隠しておくことは、その危険に対しての警戒感が醸成される機会を抑圧してしまい、かえってリスクを高くするのではないだろうか?

子どもに限った話ではなくて、ネットならば広くはコンテンツフィルタだとか、個別にはキッズGooやらYahooやら、うごメモ*1、とか、mixi*2、は、危ないものフィルタされた世界を見せられている|見ることを選んでいるという面で同じと言えるだろう。

危ないものが「見えない」≠危ないものが「無い」

あっちには危ないものがあるんだ、危ない人がいるんだ、怖い人たちがいるんだ、ハブがいるんだ、肉食系女子がいるんだ、と心の片隅に置きながら暮らすのと、そういったものを見えなくして、わーい危ないものなんてないぞー、と思いながら暮らすことは違うと思う。


そうやって平和だと思って暮らしていて、ある日うっかり魔女の森に迷い込んだらレベル60クラスのやばい敵に出会ってしまった(ドラクエだとそういう場所あったよね)、と言う事態になるリスクがあるのではないだろうか。

危ないもの存在を知らずに危ないものに遭遇する確率>危ないものの存在を「知っていたのに」危ないものに遭遇してしまう確率

とは言えないだろうか。

うごメモの問題点はここで、うごメモDSiからしか見ていない子どもたちは、よもや自分たちが魑魅魍魎の跋扈する百鬼夜行のただ中にいるとはゆめゆめ思うまいて。キヒヒ

子どもには本当の世界を見せるべきなのか?

見せるべきでないものを子どもの目にうっかり触れないようにしておく、と言う意味でコンテンツフィルタは必要だ、というのは否定できない。たしかに、中学生にものぐさ精神分析を音読させるのが、よいこととは思えない。だけど、いつかは知らなくてはいけないことだとも思う。寝た子が寝続けられるのならば、それはそれで幸せだ、という考え方もあろう。


ここで気になっているのは、あそこは危ないから行っちゃいけないよ、怖い目にあうからね、と言ったことは教えておくべきではないかと言うことだ。ものぐさ精神分析ならば、この本は、20歳になるまで読んではないけないよ、この世界に失望するから、と言っておくことは必要なのではないだろうか。



現実の世界で言うならば、私は子どもの頃、普段遊んでいた池の南側が深い森になっていたのだけれど、そこはマムシがでるから絶対に入ってはいけないよ、といろんな大人から言われた。それは、危ないものがあるから行ってはいけないよ、行ってなにかあったら知らないからね、という責任とリスクは自分で負うんだよ、という意味があったんだろう。


たとえば、ネットの世界ならば、2chの奥の方には行ってはいけないよ、怖い人たちがいるからね、だとか、rottenがURLに含まれていたら絶対にクリックしてはダメだよ、心に二度と癒えないキズを負うからね、と言ったことを教える方が、2chという世界があたかも存在しないかのようにフィルタをかけた世界を子どもに見せるよりはいいのではないだろうか。


子どものときは、そうやって平和な、シェルターの中で暮らしていて、ある日そのフィルタが外されたときに見た世界が、こんなにも汚れた世界だったなんて!と絶望したりしないんだろうか。



ある一つの事象を観察するときに、いろんな見方があると思うけれど、ある程度自己判断ができる歳になったら、本当の姿を教えるべきではないんだろうか。もっとも、「いや、僕ははこの美しい世界だけで暮らしていきたいんだ」という人生設計もありだろうけれど、どうせそのうち汚れた世界を見ることになるような気がするな。


ものぐさ精神分析 (中公文庫)
岸田 秀
中央公論
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*1:DSiから見える世界とはてなのサービスとして見える世界が違っているので同じかな

*2:あそこで書いている人のなかには未だに世界に対して公開しているという認識がない人がいるみたい