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夢のコラボレーション 梅田望夫x齋藤孝 私塾のすすめ

書評 はてな入りたい

「私塾のすすめ」(齋藤孝との共著)、いよいよ発売です - My Life Between Silicon Valley and Japan


梅田望夫齋藤孝なんて、夢のコラボレーションだ。
どっちもファンの私にとってはたまらない組み合わせ。
次の夢のコラボレーションは、梅田望夫齋藤孝勝間和代だなぁ。楽しみ。

発売日に買って、京都オフィスに遊びに行くときの新幹線の中で夢中になって読了。一ヶ月ほど寝かせてしまったけれど、付箋したところと、思うところをメモしておこう。

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

日本では、webの世界というのは、犯罪の温床になるなどのネガティブな面ばかりクローズアップされていて、これほどの「能力の増幅器」をきちんと評価しようとしていない。

これは本当に憂うべきことだと思う。日本語のインターネット世界では、だろうか。テレビや、新聞がネットを目の敵にしているのが原因のひとつだとは思うけど、それ以外にもそもそもの国民性というか、文化的な背景もあるのかもしれない。

日本語を使うことができるネットの世界が、負のものというか、ダークサイドに落ちてしまっているのはとても残念。

英語のネットの世界は、ポジティブな世界なんだろうか?

もしもそうなら、英語ができる人たちは日本語のwebから逃げ出すだろうし、企業だってこんな日本語圏なんて言う小さなマーケット向けにサービスやっててもそもそもパイが小さいんだから力ある企業は日本語圏向けのサービスなんてやらなくなるだろう。

英語ができる人たちがどんどん日本語のネット界を見捨てる、というのは怖いことだし、英語ができないとそのうちろくなサービスが日本語では使えない、という時代が来るのかもしれない。

日本語圏にとって、負のスパイラルに落ち始めているのかもしれない。
最近の、コメントの承認制の導入の話なんかもそうだけど、サービスを提供する側にとっても、「悪意」を前提とした設計は、コストがかかる。日本語のネット界は、「悪意」があることが前提になってしまっていて、それが日本語でサービスを提供する側にとってもネックになっているんではないだろうか。

自分がいいなと思ったことに自信をもった方がいい

直感を信じろ、ですね。
ランキング症候群、なんて言われ方をしているけど、自分がいいな、と思ったものを大切にしたい。ランキングだって、最初はどこかの誰かが「これはいいぞ!」と自信を持ったから上位になるんだろうし、その最初の誰かになれるようにしたい。

ある人のブログを一年間分さかのぼって読んでいくと、初対面のときに、その人のことをかなりよく知っているということがおこる

私は98年頃から日記というかwebでいろいろ書いていますが、こういう経験が結構あります。
私の書いたモノをいつも読んでくれている人の方が、こちら側の世界で毎日つきあっている人よりも本質的なところをとらえているな、という感覚を持つことはある。

リアルの世界だと、どんな考え方をしているか、なんてことを話すことはあまりないので、ネットの世界での私を知っている人の方が、価値観の共有がしやすくなっているんだと思う。

日記も、家族全員がはてなで書いていて、お互いに生存確認というか、どんな生活をしているだとか、細かいところまで共有できるようになっていると思う。はてなスターができてからは
、スターを付け合うようになった。

一緒に仕事したいという人と仕事ができる喜び

こういう経験、ありません。こういう経験ができる仕事を探し続けないといけないんだろうな。You need to find what you love.
一緒に仕事したいなぁ、という人がいないのも問題か。

「あこがれ」とともに共感できる人物をクラスメートの中に見つけるというのは至難

今の、小学生や、中学生はしあわせだなぁ。
ただ、気になるの携帯から見えるネットの世界が、パソコンから切り離されていて、さらに携帯から見えるネットの世界が、ダークサイドなのかもしれないな、ということ。
ただでさえ日本語のネット界がダークサイドなのに、それに輪をかけるなんて不幸だよね。

小学生や、中学生は、英語を勉強して、英語の世界にいくともっとしあわせになれるかもしれない。英語だったら、勉強のリソースを入手するためのコストが圧倒的に安いし、量も抱負で質も良い。

日本語しかできないことの制約は、既に明確な「リスク」になっていると思うので、できるだけ早いうちに外しておいた方がイイよ、と教えてあげたい。

オープンにしながら、雰囲気をよくしていく

レベルの低い誹謗中傷などは言いにくい「空気」というのがありますよね。

これができる人が日本には少ないのかなぁ。
はてなもそうだし、ニコニコ動画2chもそうだけど、なんで何かと悪い方へ悪い方へ、誘導しようとする人がいるんだろう?

そういう居心地の良い場所、をマネジメントできる才能が今後は重視されていくようになるんだろうか。

その後の人生の学びの「選択の不自由」に追い込む

これは本当にそう思う。

その人が、何に才能があるかなんて、やってみないとわからないんだから、とりあえず全部やらせてみればいいんだと思う。今の学校教育だと、やりもしないというのはもったいない。

ひょっとしたら100年に一度の数学の才能があるかもしれないのに、試しもしないなんて、国にとっての損失だよね。

個人的には「上を伸ばす」ことに興味があります

みんな伸びると思ってやっている

これは梅田望夫さんの言葉だけど、やっぱりそうなんだ、という感想。
これに対して齋藤孝さんは、全体の底上げを目指している、という話をしていて対称的。
私は梅田さんの考え方と同じで、全体の底上げを目指したことで犠牲になる人たちと、上を伸ばすことで得られるものを考量すると、上を伸ばす方が社会にとっての利益になると思う。

ただ、今の日本の教育だと、「上を伸ばす」ことにも「全体の底上げ」にも失敗しているような気がする。齋藤孝さんみたいな人が文科大臣になればいいのにと思う。

はっはっは(爆笑)

ここは私も爆笑した。

梅田さんの存在はあこがれを体現している

ああ、梅田望夫さんに会いたい。

「あいつはコンサートやり過ぎだから、とくにいかなくてもいい」

そういう心意気で齋藤孝が本を出しているとは知らなかった。
確かに、同じような内容の本が多いのだけど、そういうことだったのか。

5%の批判はたいしたことがない

多くの人たちは、こういったSN比、というかポジティブ/ネガティブ比が高くてイヤになってしまうんだと思う。たまたまもらった数少ないコメントがネガコメだとか、ブクマされたと思ってみてみたら死ねばいいのにタグが付いているとか。


5%の批判がたいしたことがない、といえるのは、ポジティブなものを受け取れるからであって、それは少数派だよね。


だから、ポジティブな物を受け取りやすくするはてなスターは良いな、と思っている。
ポジティブな物の量を圧倒的に増やしていかないと、この世界がよりよい世界になりづらい。
いまは、ネガティブなものの方を受け取りやすい世界になってしまっているよね。

すごい心の総量

これはイイ表現。

日本の教育のことが本当に毎日心配で仕方がない。

こういう人が、こういう狂気の人が教育を担って欲しいな、と思う。
本気でそう思っているんだろうから、応援したい。
どうしたら、齋藤孝文部科学大臣にできるんだろう?
こんなに、日本の教育のことを考えてくれている人は向こう100年でないかもしれないのに。

「自分が組織から与えられるもの」と「自分が組織に対して与えているもの」の天秤が傾いたときに辞める

その会社から得られることをしゃぶりつくす

これは忘れないようにしようと思う。前の会社を辞めた理由の一つだし、今の会社を辞めない理由でもあり、はてなに応募できない理由でもある。はてな入りたい!と思うけど、今の私がはてなに与えられるものは少ないから。もっと与えられるようになってから応募しよう。

経験値を上げたいと思っている人と、そうでもない人の二種類に色分け

これはありますね。上を向いて生きている人と、下を向いて生きている人かな。
経験値を上げたいと思っている人の方が好みかな。
というかそうでもない人とはあまりおつきあいしたくないです。

相手は本当にダメージを受けてしまうかもしれない

こういう心配りができる人なんだ、というのは尊敬します。

人との出会いを本当に大事にする

大事にしたいのだけど、人と出会えないなぁ。
友達と呼べるのはほんの数人。
最近だと、ネットで知り合った人たちというのは興味深い。

「義理」とかそういうものを捨てる

そういう義理とか付き合いとか、自分が望まないことに時間や労力を割くことをしない、というのはおおむね実践してきたかなぁ、と思っています。不義理をすることに心は痛むのだけど、それは優先順位の問題で、不義理をしないと先に進めない、と言うことはあると思う。

不義理をしたことについて責められることももちろんあるけれど、彼らにとって私が裏切り者だという認識になることは理解できるので、甘受することにしています。ただ、心が痛まないのか、という言われ方をするのは遺憾だけど。それはもちろんしんどいことなのですよ。

「あなたとは永久に会いたくありません」

ああ、それに近い感覚を持つことはある。
今のところそれほど人生のしがらみがないので実行できているけれど。

日本で受動的にメディアから受ける言葉に、どうも気持ちが萎えるような言葉が多い

受動的なメディアに触れなくなってから10年ぐらい経つので、最近はどうかよく知らないけれど、ポジティブな方向じゃないんだろうな、というのは想像できる。
そもそも、なんでみんなそんなにテレビ好きなの?

定食屋さんなんかでテレビを見ることがあるけれど、同じ時間で情報量が全然少ないし、質もイマイチだし、偏ってるし、時間の無駄だよね。時間を無駄にしたいから見ているんだと思うけど、それは生き方の問題かな。

みんなで足を引っ張って、全体のレベルを下げれば、相対的に少ない努力で上に行けるのはわかるけど、そういう生き方はしたくないな。

せめて機嫌だけはよくしてね

不機嫌な人が、優遇されるのはいい加減やめにして欲しい。

不機嫌だっていいこと少ないと思うのだけどな。演技で不機嫌なのか、自分の心のコントロールが未熟で不機嫌になってしまうのかはわからないけど、自分の感情をコントロールできない人が不思議。だって、自分の心でしょう?器質的な話は別にして。

今の職場は不機嫌な仕事の仕方をする人が前の会社よりも少ないような気がする。

「時代の変化」への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる「迷いのなさ」、・・・

なんだか、まわりの人たちがiphoneにワクワクしてない人たちばかり何だけど、なんでワクワクしないの?

ずっとおあづけされてた、あんなにおもしろそうなオモチャがようやく手に入るのに!

「なにができるの?」とか言ってないでまずは買って使ってみっせ!
やりもせずに酸っぱいブドウ戦略はもったいない!